メモ:ポエトリーな世界

気になるメモ

○写真家・植田正治(UEDA Shoji) 1913-2000

奥さんを主にした写真集を本屋で見た。こういう写真、好きだと思った。

参考→植田正治写真美術館HP

谷川俊太郎質問箱(HOBONICHI BOOKS)

もともと谷川俊太郎は好きである。日本で唯一詩だけで食っていけると言われている詩人(まあ結構他にいろいろやってるけどな)。谷川さんの書く詩やら文やらは怖かったり、薄ら寒かったり、恐ろしかったりすることはあっても、硬かったり重かったりすることはない。そこが好き。

で、この本は「ほぼ日刊イトイ新聞」で読者の質問に谷川さんが答えるというコーナーがあって、そっからできた本らしい。

装丁も挿絵も、そして内容自体も非常にキュート。

本メモ:paint it black

「カラマーゾフの兄弟」、とりあえず本編(+エピローグ)読み終えました。あと訳者の書いたドストエフスキーの生涯と解題が残ってますが、そちらはちらっとしか読んでません。

全体的な感想としては、とにかく長かった。特に「大審問官」のところがもうキシャーとなるほどキツかったです。興味深いとか面白いとかは部分的にしか感じられませんでした。結末も「えっ、あれだけいろいろやってこれが結末??」って思ってしまった。多分、これは精読してはじめて面白みが出る作品じゃないかと思います。しかし、これだけの大作、読み込まなければ面白くないとは、拷問か。

というか、ただ単にこれを楽しめるには、あたしの頭が足りないんだと思うだよ…。ストーリーにある程度の流れというか勢いのある部分は比較的面白く読みましたが、登場人物が長々と自分の思想を語るところで停滞することが多かったので……

まず頂かなかったら、一生触れないで過ごした作品だと思います。

とりあえず、印象だけ整理(あくまであたしの現在(初読時)の印象です)。ネタバレ注意。

●「主人公」アリョーシャの存在感

:序文で「わたしの主人公」と明言されているカラマーゾフ家の三男・アリョーシャ。しかし、全編に渡って動き回っているにも関わらず、様々な人に影響を与えているにも関わらず、なんとなく印象がぼんやりしているのは何故なのか。下手すると単なるいい人(でも若者らしく発展途上)で終わってしまいそうな…。あたしが他の登場人物のアクの強さに騙されているだけなのか。アリョーシャは他の人物の繋ぎであり、あまり主体的に行動しているように感じられない。或いはそうやって頼まれて、言われて動き回っているからこそ、ドラマは悲劇の方向に向かっていくのか?

書かれなかった「第二の小説」では、彼が「修道僧」から転じて「革命家」となり「第二の父殺し(=皇帝暗殺)」の鍵を握るという作者の構想が残っているそうだが…。そんな彼に対してゾシマ長老はなぜ「俗界へ出ること」を勧めたのだろうか? 

●長男ミーチャのその後

:兄弟の中で、良くも悪くも一番「世間一般にいそうな」、それゆえに一番親しみがもてたのが、気性が激しく、女性とお金にだらしない長男ミーチャである。乱暴に言えば「単細胞」。彼の粗野さは純粋さと紙一重で、だからこそ憎みきれない。「カラマーゾフ」では何か裏がありそうな、一筋縄ではいかなそうな、現時点では大丈夫でも次の瞬間どうなるかわからなそうな人物ばかり出てくるので、ミーチャの存在は(あたしの中で)ある種の清涼剤になっている。「父殺し」の罪名を着せられていても、である。危険ではあっても、次にしようとすることがある程度分かっているから、他の人物よりよっぽど気を許してしまいそうな感じ。彼が何故女性にモテるのか、分かる気がする。

さて、彼に関してはシベリアに流刑になる直前、そして逃亡しようと画策しているところで物語は終わっているが、もし「第二の小説」があったなら、彼のその後は、恋人グルーシェニカとの関係はどうなるのか、それがまず気になるところである。

●イワンの狂気とスメルジャコフの不気味な影

:この二人に関してはとにかく不気味で、それが読後感の「すっきりしなさ」の一翼を担っていることは確かだ。話の最後でイワンは発狂し、死に瀕しているのだが、果たしてそれで終わりなのか?と思えてしまう。イワンが「幻覚=悪魔」と対話する場面は恐怖そのものである。その印象があまりにも強く、またストーリーの中での位置としてもぴりぴり神経に触れる。

イワンの発病には、父殺しの「実行犯」でそれを公にはせずに自殺したスメルジャコフが関係している。イワンに関してだけでなく、物語全体にこのスメルジャコフの影がまとわりついている感じが拭えないのが、なんとも不気味。スメルジャコフの「父」ははっきりと明かされていない、本当は誰なのか(フョードルと噂されているが?)。またスメルジャコフはイワンの無意識の父殺し願望の単なる「実行者」で終わってよいのか? なぜスメルジャコフはイワンにだけ告白をして自殺してしまったのか? この男に関して様々な謎が残されるのは、面白いが、とても怖い。

●少年少女

印象的だったのは、コーリャ・クラソートキンとリーザ・ホフラコーワの、共に14歳の少年少女の描かれ方。なんというか、正に思春期、って感じで、読んでいて非常に恥ずかしかった。他の子どもたち(例えば結核で死んでしまうイリューシャや、コーリャについて歩くスムーソフ)はまだ子どもらしさが見えるだけに微笑ましい。だが、コーリャの社会主義者ぶってしまえる知的さとか、「万能感」まるだしの尊大な態度とか、でもアリョーシャ(尊敬したいひと)の前での自意識過剰。そして、リーザの年上の想い人(アリョーシャ)をやたらからかおうとするところとか、と思ったら一転して「自分なんて…」って卑屈になるところとか、口数の多いぴよぴよしたところとか……THE 思春期!! 子どもから大人への過渡期!! がもーお、あたしには恥ずかしくて仕方ない。これって自分のその頃を見せ付けられてるみたいですよ。

この二人に限らず、脇役は主要人物に負けずと劣らぬ個性が際立ったひとばかりで、ドストエフスキーの人間観察力は優れていたんだろうなぁ、そしてそれを文章で表す描写力もあるんだなぁと思いました。

とりあえずこんなところで……。果たしてまた読み返すのか分かりませんが。

読んだ方いたらご自身のご意見ご感想聞いてみたいです。

アキラカなりしそらのもと

秋なので①

欲しくもない本を買うついでに、小説など買いました。

「傷 慶次郎縁側日記」(北原亞以子 新潮文庫)

隠居した同心を中心にした人間ドラマ、人情もの。いかにもあたしが好きそう。

これ、NHKの時代劇ドラマでやってたんよね。高橋英樹が主演で。脚本が良かったのか、演出が良かったのか、面白かった。物静かで、多くを台詞で語らなくてね。

キャストも良かったなぁ。レギュラーも良かったけど(あたしの好きな奥田瑛二さんがすっごいかっこいい役で出てたんよ…)、一回一回のゲスト出演者が上手い人ばっかりだった。

で、原作あるって知って、気になってたんでした。

読んでみて。うーん、面白いけどドラマには劣る。ドラマが先だったからそう思うのかな?

人物の描き方は細かい。文章が多少分かりにくいところが難。山本周五郎の影響あるように思うのはあたしだけでしょうか;。

秋なので②

食欲が爆発。

昼を食い損ねて学校から帰り、16時頃スーパーのから揚げ弁当買って家でもそもそ食う。牛乳を2杯飲む。菓子箱にあった煎餅を食う。冷蔵庫からチーズを出してきて食う。塩昆布を舐める。まだ足りない気がするが、他に食うものもなく、一回休み。

夕飯。アサリの味噌汁、カレイの塩焼き、ほうれん草のおひたし、茹でオクラとキャベツ、男爵イモのコロッケ、鶏肉とレバーの煮物など完食。

食後にアイスでも、と思ったが、さすがに腹が苦しい。というか、ぽっこりである。ほぼ妊婦である。

でも多分目の前にいろいろ出てきたらまだ食える自信がある。人ってどれくらいまで食物摂取できるんだろう。そういや昔あったよね、胃袋破裂するくらい食物詰め込まれて殺されたっていう事件で始まるサスペンス映画。「セブン」だっけか。

…観たいかも。次は芸術の秋と映画で洒落込んでみますか~。

Eden

070924_22370001_2 久しぶりに読みたくなって一晩で全巻を読みました。

「CIPHER」(成田美名子 白泉社)

すげー昔の少女漫画。姉がリアルタイムで読んでたやつ。

でもほんと面白い。いい話。深い。クオリティ高い。

保存状態が相当悪いですが、あたしにとってはお宝です。大好き!

この作者の作品は他も評価高いらしいです。今度ブックオフで探してみようかな。

高校入ったあたりから漫画をあんまり読まなくなりました。昔はかなりの漫画っこだったんだけど、なんでだろうなぁ。

ちなみに現在のあたしの本棚にある漫画

・「CIPHER(全12巻)」

・「動物のお医者さん(全12巻)」←定番ですね。

・「美貌の果実(川原泉傑作選・文庫版)」←川原泉作品も面白い! 昔ほとんどの作品がうちにありましたが、なぜか廃品回収に出してしまった。惜しいことをした……

・「のだめカンタービレ(1巻、2巻)」←この中で唯一自分で買ったやつ。去年?のドラマに影響されてとりあえず買ってみた。が、その後は買ってないし読んでない。ドラマから入ったのがよくなかったかも。

・「奇子(上・下)」「ネオファウスト」「白縫」「ユフラテの樹」「火の鳥(ギリシャ・ローマ編)」←全部手塚治虫。ユフラテと火の鳥以外は、エロ残酷アイロニーバッドエンドばっかりの大人向け手塚漫画。マジ怖い。

本メモ:精神緑地化計画?

思いやりのある人というのは、もっとも人間らしい人間といえるかもしれません。誰もが願うことですが、子どもの心に、思いやりの気持ちはほうっておいても育つわけではないのです。私は思うのですが、これは、だれかがだれかを思いやっている姿を、日ごろから身近にたくさんみる必要があるのです。…

ところが、自分の子どものなかに思いやりを育てるのは自分(*自身の姿)なんだということを、親はあまり意識していないのです。…にもかかわらず、頭のなかではこの子が思いやりのあることに育ってくれないかと思っているのです。…

卒論のための参考文献「子どもへのまなざし」(佐々木正美著、福音館書店)からの引用です。著者は児童精神科医の方で、内容は一般向け(もともと保育園での勉強会での講演をまとめたもの)ではありますが、いわゆる育児マニュアル本みたいな怪しさはなく、この手の本の中では近年のベストセラーで良書とされているようです。(ちなみに手元にある本は初版から4年目、2002年、第24刷でした) 児童向けの出版物の老舗・福音館からの出版ですから、装丁も大変上品です。挿絵はなんと、あの「ぐりとぐら」の山脇百合子さんです。

大体300頁ほどのハードカバーで分量はそこそこあるように見えますが、もともとが講演なので大変読みやすく、読み物としても面白いと思います。語り口もやわらかくて、読んでいて心地好いものがあります。

子どもにまったく関わりがない方でも、近年の社会の問題や傾向、また自分自身のことについても考えさせられる内容かもしれません。あたしも卒論のために読んでいますが、何気ないことばにかなりはっとさせられています。

幸せというのはどういうことなのかということを、私は自分でもときどき考えますが、「幸せということは感謝ができること」であろうと思います。あるいは別の言い方をすれば、感謝の気持ちのない幸福というのはないと思うのです。…

…私なんかの場合には、仕事から帰って「お風呂がわいていますよ」と妻からいわれて「どうもありがとう」とこういう気持ちです。…ささやかなことではあっても、ぜいたくだなというふうに感じ、そういう用意をしておいてくれた妻に感謝する。あるいは感謝できる状況が与えられていることに幸福を感じる、そういうことなのかなと思います。…

…幸せな人、思いやりのある人、感謝のできる人、ほかの人に共感できる人、人の喜びを喜び、人の悲しみに悲しんであげられる、そういう人たちのそばに子どもがいられるということは、大きな幸福でしょう。

ですから、みなさんがそういうふうに、すこしずつ心がける必要があります。日常生活のすごし方、あるいはいろんな物事に直面したときの感じ方などです。そういうふうに感性を豊かにされることは、とてもたいせつなことのように思うのです。

簡単なようで、とてもとても難しいことかもしれません。理想論かもしれません。けれど、それが誰にとっても大切なことは明白です。あたしはそういう人間になりたいと思います。必ず誰かがどこかで繰り返し言っていること、今日はそれがなぜかとてもとても心に沁みたのでした。

How come?

卒論の参考にするために大阪にいる姉にあるだけの育児書を送ってもらった。

その中に一冊、育児書とはまた違うと思われるジャンルの本が。

その本とは

41gezc67rpl 西原理恵子+母さんズ 「ああ息子」(毎日新聞社)

息子をもつ全国のお母さんたちの体験談投稿記事と西原さんのイラストによる「本当にあった息子の話」である。

これがなかなかスゴイ、面白い。

リビングの床一面にガムテープを隙間なく貼る息子、洗濯機の脱水層に入って出られなくなり救急隊に救助される息子、鼻の穴に泥を詰め込む息子、駐車場の遮断バーでリンボーする息子、お葬式で「手のひらに太陽を」を歌う息子、等々……これだけ書くと「ふーん」って感じだけど、投稿記事そのものが非常に面白いので、立ち読みでいいのでご一読ください。やっぱり「生きた体験」というのは強いものです。

「生きた体験」も強いけど、それ以上に息子も母も強し。生活するってのは大変なことだと読んでいて思ったよ。子どもは天衣無縫に「なぜ?どうして?」な行動を連発するもの。それと毎日関わっていくってのは並大抵のことじゃない。お母さんもとてもとても偉いけど、その偉大さを育てるのは子どもなんだなぁ、きっと。

エピソードの一つに、授業参観での作文発表がありました。テーマは「おかあさん」。

さあ、息子の番。「ぼくのおかあさんは、りょうりがじょうずです。おかあさんがつくったりょうりのなかで、いちばんおいしいのは、なっとうごはんです」。一同大爆笑で、穴があったら入りたかったです。その後、壮絶な夫婦げんかについて読み上げられたお母さんがいて、かなり気持ちが楽になりました。

これはありそうだなぁと思ってにこにこ読んでたけど、ふと思い出した。

それはあたしが小学校一年生のとき文集に書いた作文。テーマは「家族」で、家族ひとりひとりを紹介したのだった。詳しいことは忘れてしまったが、明確に覚えてることがひとつある。

あたしは父に関してこう書いたのである。

「おとうさんはこうこうのせんせいです。いつもがっこうにころされるといっています。」

もちろん原文ママには文集に載らなかった。母による検閲があり、母は担任の先生に連絡帳にて「『学校に殺される』はマズイと思うのでご指導下さい」と伝えたのだった。もちろん母がそんなことをしなくても先生は修正を入れただろうが。

「学校に殺される」は当時学年主任か何かをしていて忙しかった父のジョークである。しかし小学1年生のあたしはそれをしっかり聞いていて、しっかり筆にしたためたのであった。

当時のピュアなハートとマインドをもっていた梅やちゃんは事実を事実として書き残そうとしたんですね。でも、現在は結構冗談にならないだろう状況もチラホラ聞かれるし、空恐ろしいですね★

皆さんの幼少期にはどんなエピソードがありますか? 家族とアレコレ思い出して喋ってみるのも(ホントたまには)いいかもしれないですよ。

町へ出よう、書を得よう

最近読書という読書をしてなかったので、本屋で物色して購入したのが以下。

070819_21510001 ・美肌革命(佐伯チズ・講談社)

・サワコの和(阿川佐和子・幻冬舎文庫)

・ちいさこべ(山本周五郎・新潮文庫)

・人情裏長屋(山本周五郎・新潮文庫)

チズ様の御本は読書の範疇には入りませんけど、まぁ欧米で言ったら聖書みたいな安心感が欲しくてつい。活用させて頂きます。リスペクト・チズ様!!

阿川佐和子は檀ふみとの往復書簡が面白かったので手を伸ばしましたが、爆笑を求めるような内容ではなかったようです。そこそこ真面目な内容でした。すいません、阿川さん。

それにしても山本周五郎は面白いです。

ほろりときてぐぐっとくるような社会派時代劇ばっかりやたら書いてる作家(これはけなしてるんじゃないんですよ)だと思ってた愚かなあたしをお許しください。「ちいさこべ」はそんな内容の中編四作が収められている、感涙もの。ですが、周五郎先生はそれだけじゃあない、ユーモアって言うかぶっちゃけ珠玉のギャグが書ける人だったんですよ! 「人情裏長屋」はそんな「戯作もの」短編が十一作も収録されてました。いやぁ、大満足。

新潮文庫は山本周五郎作品が大変充実してまして、本屋さん行って棚の前でどれにしようか迷うのも楽しいものです。

これからしばらく山本周五郎な日々が続くものと思われます。

Dr.RED

「こんなことを云っては悪いかもしれませんが、どうしてみんなは放っといてくれなかったんでしょう、放っといてくれれば親子いっしょに死ねたのに、どうして助けようとなんかしたんでしょう、なぜでしょう先生」

登は辛うじて答えた、「人間ならだれだって、こうせずにはいられないだろうよ」

(中略)「生きて苦労するのは見ていられても、死ぬことは放っておけないんでしょうか」おふみは枕の上でゆらゆらとかぶりを振った、「もしあたしたちが助かったとして、そのあとはどうなるんでしょう、これまでのような苦労が、いくらかでも軽くなるんでしょうか、そういう望みが少しでもあったんでしょうか」 (「赤ひげ診療譚」山本周五郎著・新潮文庫)

定期的になんとなく繰り返し読みたくなってしまう、私の愛読書のひとつに山本周五郎の「赤ひげ診療譚」があります。久しぶりに本棚から引っ張り出してきて、改めていいなぁ、と思いながら読みました。

「人間ほど尊く美しく、清らかでたのもしいものはない」と去定は云った、「だがまた人間ほど卑しく汚らわしく、愚鈍で邪悪で貪欲でいやらしいものはない」 (同上)

この矛盾に満ちた言葉が、赤ひげと呼ばれる医者・人物を如実に表しています。この賢人も理想と現実の間で揺れるひとりの人間であり、それでもやはり徒労かもしれない「医術=仁術」に賭ける。ただの綺麗ごとが並ばないところ、でもやはり性善説を肯定「しようと」するこの作品が私はとても好きなのです。

黒澤映画でもおなじみの赤ひげ。はじめて観たとき、衝撃的に面白くて驚いたのでした。白黒でもこんなに面白い映画があるんだ、と。

何年か前、正月ドラマでリメイクもやってましたっけ。鈴木杏ちゃんの演技力に圧倒されたのもこの作品です。まだ「女優」というよりは「子役」と呼べるような年齢だったと思います。それなのに、ものすごい存在感と演技力でした。(のちに蜷川演出の「ロミオとジュリエット」に出ていて「ああやっぱり」と思いましたとも!)

で、原作の方です。これまた山本周五郎は「厳しい現実」を容赦なく書く作家です。ところが強烈なカタルシスはないのに、読後感がものすごく爽やかで、心が温まるような気持ちになるので不思議です。多少文体は古臭くて読みにくいかも知れないけど、「最近どうも心が鈍ってるなぁ」という方にお薦めします。

Nice cup of tea

今日はまことに寒かった。炬燵カムバックってな気持ちだった。こういう日には温かな紅茶が欲しくなる。

外で歩きつかれてそのアロマに心和ませながら美味しく飲めるのは専らコーヒー系だが、家でゆったり楽しむのはやはり紅茶であると思う。紅茶が美味しいカフェは少ない。あったとしてもコーヒーほど手軽な値段ではなかったりする。

我が家は日本食至高主義家庭なので、紅茶を飲むのはあたしくらいである。そのあたしも時々しか飲まない。而して、茶葉はお中元やお歳暮に頂いた高級なものを使用することができ、且つその消費量は少ないので、コストは全くかからない。素晴らしい。

(しかし、だからあまりフレッシュでない茶葉を使用するので、紅茶通の人からすれば邪道と言われるかもしれぬ)

最近はミルクティーを好んで飲んでいる。前はプレーンでばかり飲んでいたが、気持ちをゆったりさせるのはやはりミルクティーで、ミルクティーには色濃くコクのあるアッサムが向きだと思われる。

……というのは、受け売り。あたしの浅ーい紅茶のこだわりは、全てこの本に影響されたものである。

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「午後は女王陛下の紅茶を」文・出口保夫 絵・出口雄大(東京書籍)

イギリス文化としての紅茶とその周辺について書かれた本で、実践にも非常に役立つ本である。

古い本で、初版は1986年となっているが、この本はあたしの非常に好きな本で、且つ英国式紅茶のバイブルでもある。実は姉の御下がりだ。何度も、不意に読みたくなる本である。

著者は早稲田大学の英文学の教授(であった?)出口保夫氏で、文体も美しく、ただのhow to本に終わらない。ご子息の雄大氏が挿絵を付けられており、それがまた美しい。

困るのは、紅茶だけなく、アフタヌーンティーには欠かせないお菓子やサンドウィッチにも触れられており、それを描写する文も、挿絵も大変美味しそうなこと。触発されて、その日の紅茶のためにわざわざ百貨店にスコーンを買いに行ったこともある。そればかりか、紅茶のためだけにイギリスに行きたい気持ちに駆られたこともある(それは急に思い立ってもいくらなんでも無理であった)。

とにもかくにも、本日は久しぶりに優雅な気持ちでミルクティーを飲み、それが大変美味しく感じられる日であったことだ。暑くなるとこうはいかん。

しかし晴れてくれないと洗濯物が乾かないので、夏の陽が大変恋しいです。晴れ間をください。

神は天にあり、世はすべてよし

あたしは、世界の名作と言われる本の中で

「赤毛のアン」が一番好きかもしれない。

「赤毛のアン」は女の子のバイブル、なんてよく言われますが、

万人に対しても素晴らしい作品だと思います。

ちょっと変わった、ちょっと困った女の子が、

いろんなトラブルを巻き起こしながら

美しく賢く思いやりのある女性に少しずつ成長していく様子とか、

その周囲の人たちが、そんな彼女に深い愛情を示すところとか。

(←血のつながりでなく、縁のつながりでそうあるところが特に)

ユーモアたっぷりなところも、すごく好きです。

グリーンゲイブルズに来たばかりの11歳のアンがお祈りをします。

「恵み深き天の父よ、歓喜の白路や、輝く湖水やボニーや雪の女王に感謝いたします。まったく心底から感謝しています。お礼を言うのはいまのところ、それだけです。かなえていただきたいことはあんまりたくさんあるので、全部言っている時間がありませんから、二つだけいちばん大事なお願いを申し上げます。どうかあたしをグリン・ゲイブルズに置いてください。それからあたしが大きくなったら美人にしてください。かしこ。あなたを尊敬するアン・シャーリーより」(「赤毛のアン」モンゴメリ・村岡花子訳)

その彼女が16歳になって

「あたしは自分のほか、だれにもなりたくないわ。たとえ一生、ダイヤモンドに慰めてもらえずにすごしても」「あたし、真珠の首かざりをつけた、グリン・ゲイブルズのアンで大満足だわ。マシュウ小父さんがこの首かざりにこめた愛情が、ピンク夫人の宝石に劣らないことを知っているんですもの」(同上)

そう自然に言えるようになる、そのことがなんでこんなに胸を打つんでしょうか。

で、アニメ世界名作劇場ですよー!

何回もテレビで再放送されていて、今もNHKBSで放送されています。

このアニメ版「赤毛のアン」のクオリティの高さと言ったらあなた。

本当に原作に忠実で、キャラクターが生き生きしています。

感受性の豊かなアン、かたく厳しく愛情深いマリラ、

シャイで無口であたたかいマシュウ、

アヴォンリーの四季と一緒に動くそれぞれの心象。

誰か実際を見てきたんじゃないかっていうリアリティです。

下手なドラマよりよっぽどいいと思うよ。

アニメだからといって子供だましじゃないのです。

現代のテレビアニメが馬鹿みたいに見えます。

1979年に初めて放送されたというから驚き。

スタッフに若かりし頃の高畑勲や宮崎駿なんかがいて、更にびっくり。

でも、納得。

宮崎駿が現役で頑張ってるときを知ってる世代で良かったなと思う。

「赤毛のアン」放送予定などはこちらです↓

http://www3.nhk.or.jp/anime/anne/

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