メモ:北風と太陽の国々

街をぷらぷらしていたら、急に睡魔が襲ってきてびっくりしました。夕方4時ごろf○rusのヴィレッジヴァンガードにて。歩ってたのに、「ね、ねむい…このまま床で寝れる…」と思った。初めての経験。

そのヴィレッジヴァンガードで購入したのがこれ。

080305_17380002 プリングル・スパイシーグァカモレ味。(と、そのお供にはスーパーで買った氷結早摘みマンダリン味)

グァカモレはアボカドのディップ・トマトとタマネギと香辛料いろいろ入りのこと。メキシコ料理? トルティーヤにつけて食べる。

POPは「アボカドがとまらない」などと叫んでいたのであった。

あたしはアボカドが好きで、思わず買ってしまいました、が、まあ、アボカドの味をポテトチップスに再現するのは難儀です。よくある味でしたgawksweat02

隣にならんでいた、トマト&モッツァレラ味にすりゃよかったかもdown

日本未発売のため、315円とちょいお高め。

今日は久々にHMVでひたすら試聴しまくった。1時間くらいいたと思う。

聴いていいなあと思ったのは以下。

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400_2 817_2 814_2 (上左→右へ)

○Via Audio/Say Something, Say Something, Say Something 

ニューヨーク出身、男女4人組、インディロック・ポップバンド。ヴォーカルが男女なのであたしの好み。

○Edison Glass/Time Is Fiction

アメリカ、インディロック、涙腺刺激系ロック(POP曰く)。あたしの基準から言えばガチャガチャうるさいけど、まあよしと思える。うるさいけどよしと思えるのは、あたし基準からすればすごい。

○Swing Out Sisters/Beautiful Mess

イギリス、男女2人ポップスユニット。このジャケット見ても変わらんなあ~と思う。相変わらずキラキラのポップス満載。某シャンプーのCMで使われた曲も収録。でもあたしはコリーン嬢の声がイマイチ好きになれないのだ…どうしてだろう…

○Sergio Mendes/Morning In Rio

実はセルジオ・メンデス結構好き。というのはボサノヴァ結構好きだから。BlackEyedPeasのWill I Amとの共同プロデュースでヒップホップ寄りだったりするのもあるが心地好い音楽。日本からはドリカム吉田美和参加!

○Jack Johnson/Sleep Through The Static

ジャック・ジョンソンも好き。日本人の「サーフ系」のイメージを覆すよな…。近作は「南の音」感がさほど強くなく、夏じゃなくてもバッチリはまるような気持ちのいい音。

あと不意に気になったのが、アイリッシュとかケルト音楽(フィドルとか使ってるインスト)。あとイングランド古典も好き(グリーンスリーブスとかスカボローフェアみたいな)。この系統には妙に涙腺を刺激されるのだ。冗談じゃなく! 音楽だけで泣けるという経験に驚いたりする。

エンヤとかケルティックウーマンほどポップにならない、もっと土臭そうなやつが聴きたいが、一体どんなのが良いのかとんと検討がつかない。試聴対象には到底なりえないだろうからなあ…

それからあたしの音楽苦手分野はジャズなのだが(他にもいろいろたくさんあるけど、ほんとにジャズはさっぱりわからない)、土岐麻子さんのstandardシリーズなら気軽に聴けそうかな。と思う。しかし曲数のわりには値段がするのが悩みどころ…。

モデラート、エスプレッシーヴォ

就職に伴い(というか住む場所が変わることに伴い)、小学校一年生から習ってきたピアノともしばしの別れ。最後のレッスンは3月2週目。

あたしはレッスン休んだりはあんまりしなかったけど、練習はまーあ、しない子だった(皆無ではないが頑張ることはしなかった)。けど、やっぱり楽しかったから今まで続けてきたんだろうなあと思う。

先生ははじめてから今に至るまでずっと同じ先生で、こんな長い付き合いも珍しいんじゃないか。何せあたしは先生が大学生のときから知っているし、先生はあたしが6歳のときから知っている。相性が良かったんだろうな。有難いことだ。

また、今あたしは月に一度、パイプオルガンを弾く役割を与えられているのだけれど、それも3月までとなる。結局こちらはほとんど上達しなかった…

ともかくしばらく鍵盤とはサヨナラ。側にあって当たり前だったものがなくなるのはやっぱり寂しい。きっと指がウズウズするに違いない。なくなって好きだったことを思い知らされるんだろう。休みに実家に帰ってきたらピアノにきっと触れるだろう。

生活と収入に余裕ができたら(って一体何年後の話だ)、一人暮らしのアパートであろうと、あたしはクラビノーバを買おうと思う。

結婚したら(って一体有り得る話なのか)、きっとピアノを買おうと思う。

もちろん実家のピアノが弾く人が不在だとしても、きちんと調律してあってほしい。

080216_16200001 これはパイプオルガンの足元。パイプオルガンは多声の音楽を奏でるものなので(極端な話オーケストラみたいなもんです)、曲を深める上でペダル(足鍵盤)が結構重要なポイント。オルガン専用の靴もあるんだよ。

あたしはペダルつかえるほど上手くない。勿論オルガンシューズももってない。でもペダル部分を傷つけたり汚したりしないように、演奏するときは靴を脱いで椅子に座るのです。

今日の靴下は足袋ソックスー。派手ですな…。

080216_16200002 黒鍵と白鍵がピアノと逆ですね。左右についているのはストップといって、これの組み合わせで音色が変わります。左が下段とペダル、右が上段のストップ。上段の方がパイプが小さく音も小さい。上段のみ、上の写真の右にあるペダル?(名称失念)で音が出る窓を開閉して音量を多少調節することができます。

また、上の写真の左にある三つ並んだペダル?(これまた名称失念)で上段と下段の音を一緒に出せたり、これまた音の構成が可能です。

もちろん打鍵の技術も要求されますが(タッチがピアノと違うのでその難しさもあるけど)、音楽センス(音色の組み合わせとか構成力)がもっともっと要求されるのがパイプオルガンかもね。やっぱり上手な人は、ひとりオーケストラのようにパイプオルガンを奏でることができるのです。

一体どちらが表現に自由であるのか? それはあたしなどには分かりましぇーん。

Fill the bath full

振り返ってみると、最近CDショップで「ほしい」「買いたい」「買っちゃおう」となるのは、アコースティックでゆったりしたものが多かったような。それから声が美しい、歌唱のシンプルな女性歌手(R&Bやソウルやヒップホップやレゲエのおねえさまたちは当てはまらない、パワーが強すぎて)。

実際のところ頭で「こういうのが聴きたい」と考えているのは、ポップでロックなキャッチーなものなんだけど。でもPOPやジャケットを頼りに視聴してみるとうるさかったり、変に明るかったり、ダサイと思ったり、冗漫だったり、外面が良さそうだと感じたりして、がっかりすることが少なくなかった。

要するに、身体が求めてる音楽ってのは、必ずしも理性で求めてるものと一致しないってことなんじゃあないかなあ。って気付いた。最近のあたしには安定感が欠けていたから、そのあやうさをちゃんと支えてくれるようなものを身体は摂取?してくれてたのかも、なんて。実際はどうなんだろう。

新譜で欲しいもの。

♪Lenny Kravitz/It Is Time For A Love Revolution

Loverevo 待望のレ兄の新譜。邦題は「ラヴ レヴォリューション」。シングルカットの「I'll be waiting」がデスノートのスピンオフ作に使われるらしいよ…レッチリに引き続き…ビックリだな。

とりあえず視聴で①「Love ravolution」とくだんの⑥「I'll be waiting」をかるーく聴いてみた。①はレ兄らしい骨太ロックナンバー。嬉しいねえ。こういうのが聴きたかったんだよ! ⑥はまたレ兄らしい哀愁を帯びたやさしいバラードでした。

巷での評価も「原点回帰的」「初期からのファンにも嬉しい」というものが多いようです。正直枯れてきてるのかしら…と心配してたけど、上記2曲を聴く限り、まあ大丈夫と思います。ほんと、レニー・クラヴィッツって貴重なミュージシャンだと思うんだ。ルーツも才能も。絶妙なバランス。それに、なんてったってカッコイイわ。

♪Sheryl Crow/Detours

Detours

これまた姉御!なシェリル・クロウの新譜。

前作「Wildflower」は(ちゃんと全部聴いてないが)あたしとしてはいまいちピンとこなかったんだけど、今回視聴した②「Shine over babylon」が男っぽくて潔くてカッコよすぎて、改めてシェリル・クロウはいいなあなんて思った。

あたしの大好きなミシェル・ブランチなんかもシェリル・クロウの路線上にあって、云わば妹分だ。傾向的にアラニス・モリセットもそう。ケイティ・タンストールも。おそらくその系譜の最初の方にはジャニス・ジョップリンなんかが来るんだろうけど、ジャニスはある意味ピュアすぎて、それゆえにバランスに欠けていた(結果的に死んでしまった)。その点の強さがシェリル・クロウにはあって、女性SSWの土壌を固めてくれたんではなかろうか。なーんてね。

ともかくも、女性らしさを醸し出しつつも、うまく男性的な雰囲気を取り入れられているシェリル・クロウがあたしは好きだなあと思う。こういうふうになりてーもんだ。

ちいさなおててに花束を

このブログでも何回も弱音や愚痴やらを吐き出してましたけど、本日ピアノの発表会でした。大人の人は、ピアノの発表会なんて、しばらく聞かない言葉でしょ?(^ ^)

私は個人でレッスンやってる先生のところで習ってるんだけど、その先生と学生時代(音楽科)同級生でやはりピアノと声楽を教えている先生のところの生徒の合同発表会。

先生たちは某ヤ○ハに勤めてたりとか高校の音楽の講師とか、セミプロ的音楽活動とか、そっちのほうがメインなので、個人レッスンの生徒は少ない。

その数、あたしも含め、9人(発表会に参加した人数)。うち、先生の子ども、4人。さらに、10歳以下が、6人。当然あたしが最年長。

観客、家族親戚縁者、ほとんど孫を見に来たじいちゃんばあちゃん。

とまあ、ほんとに和やかな雰囲気の発表会らしい発表会です。ある意味、上手な人がいっぱい出演する発表会よりよっぽど面白いと思います。

「どんぐりころころ」を絶唱する3歳男児。彼はステージ上以外でも元気いっぱいで、ご家族は大変そうでした。

「テルーの唄」(ゲド戦記)を情感たっぷりに歌い上げる3歳女児。彼女はファンサービスで客席に手を振ってくれました。

おじぎを忘れて鍵盤に必死で立ち向かおうとする7歳男児。彼はステージ上に飾られていた花の鉢植えを倒しました。

奴ら最高だ…なんて美味しいんだ…

演奏が全部終わってから写真撮影するんだけど、その頃は3歳児たちはもう飽きちゃってねー、先生たちはお母さんだからそっちの指導も大変ですよ。男の子の方のお母さん(声楽の先生)なんか本気で怒ってたもん、元気よすぎるから。

3歳、飽きるのは当然なんです。集中しろってったって、無理なのは当然なんです。

でもね、親はそれ分かってたって、いくら言うこと聞かなくったって、叱り続けなきゃいけないんだよ。すぐできなくったって、いつかできるように、必要なことなんだよ。叱りもしないで知らん顔してるのは楽かもしれないけど、責任とか義務とかの放棄でしょ。そんなのは親でもなんでもないよね。

だから、親であることを全うしようとするのはとっても大変なことなんですなぁ。だから、周りは、親も子どももフォローしてあげられるようにできることが望ましいんですよ。

閑話休題。

で、トリを飾った?21歳女(上手い下手は別に、最年長だから)。あたしも必死で鍵盤に立ち向かったけど、1フレーズとばしたり、音はずしたりしましたね。ハハハ。終わったことは仕方ありませんです。

でも暗譜したのと、間違っても止まらないで誤魔化して引き続けたのは、エライ。と評価して頂きました。これらは一応発表会の基本ですが、今回は受験やら部活やらで忙しくて練習時間が足りず、楽譜をステージにもってった子もいたからね。

とりあえず終わって一安心。チョコとお酒で一人打ち上げ。

071104_14480001_2 ←今回の会場は、音楽科のある高校にあるホール。その名をシュトラウスホールという(笑) もちろん、あのヨハン・シュトラウスから取ってるらしい。東北のさもない私立高校になぜシュトラウス …?

でも、建物新しいからすごくキレイだし、ピアノはスタインウェイで、弾き心地も◎でした。

主はその群れを養いたもう

クラシック音楽。って聞いただけで、逃げ出したくなる、あくびが出る、嫌な顔しちゃう…人は多いことと思います。

あたしだって嫌いじゃないが、曲目がマイナーだと結構キツイです。

ちなみに久石譲氏のコンサートで寝ました、あたし。

今日はそんなクラシックアレルギー持ちの方、でもちょっと興味のある方のためのちょっとした手引き。

まずは日曜夜9:00、チャンネルをNHK教育に合わせましょう。クラシック番組「N響アワー」の始まりです。

音楽は、耳に入ってるくらいで結構。しっかり聴かなくて全然オッケーです。この番組を見る目的は、ズバリ人間観察に尽きます。

まず番組司会者の池辺晋一郎氏をご覧ください。まず、立派な頭髪に目が吸い寄せられるこの人は日本の高名な作曲家です。でもその実、くだらないギャグを言いたくて、その機会を虎視眈々と狙っていることがわかります。ゲストやアナウンサーの引きつった笑顔もどうぞご覧ください。

さて、N響による演奏風景が映し出されましたでしょうか。

まず一番カメラに写る機会が多いであろう、指揮者です。国籍も見た目もさまざま、棒の振り方もさまざま、悦に入った表情もさまざま。時には唾や汗を飛ばしながら指揮台から落ちそうな勢いで棒を振るこの人たちは、一体何をしているのでしょうか? なんかの役に立っているのかなぁなんて思う人もいるでしょうが、実は指揮者はいないと困ります。

演奏の方針とか、100人とかそんないっぱいいる楽器をひとつにまとめるのが、指揮者の役割です。実際いくらオーケストラが上手でも、指揮者が下手だと(音楽の考え方だけでなく、棒の振り方も案外大事らしい)結構演奏はひどかったりします。

大体指揮者はオーケストラに関わる楽器にひとつひとつに精通していて、それらが一斉に鳴ってもひとつひとつ聞き分けることができるんだそうです。それに、個性もそれぞれの楽団員をまとめなきゃいけないから、リーダーとしての資質も問われます。案外大変な仕事なんですね。

一回の放送につき、2,3曲は演奏されるので(録画です)、指揮者もいろんな人を見ることができるでしょう。あら、素敵な洋服、いやだフケが飛び散ってるわ、なんて立派なお鼻をお持ちでしょう、いかにもフランス人っぽいわ、なんでこの人腕しか動いてないの?とかを主に観察しながら、それぞれを比較してみましょう。指揮者の個性が、曲にも表れてることがなんとなく分かってくるかもしれません。

そして次はオーケストラ楽団員ですね。

まず、カメラが上から全体を映したら、頭頂部の頭髪をチェックしてください。オーケストラに占める薄毛の方の割合を確認します。

そして演奏者の正面が映し出されたら、前から砂漠化が進んでいる人もチェックしましょう。あ、このひと後ろは大丈夫だけど、額はヤバイ!なんて思って、うっすら微笑んでみましょう。なんだかピースフルな気持ちになりませんか?

そして、さらに観察しましょう、演奏に対する姿勢です。

皆さんわりと淡々としている方が多いですが、時にものっすごい必死になっている方がいらっしゃいます。とても良いこと、大切なことです、けれども情熱的過ぎて浮いています。それもまた集団の中で微笑ましく映ります。そこから普段の楽団員たちの人間関係に想いをはせたりしてみましょう。

あと、一部の管楽器奏者は、演奏時間が過ぎるにしたがって、顔に赤みが差してきます。有酸素運動ですね! 

ファッションチェックも大事ですね。

タキシードの生地が上等なのは、主席演奏者です。統一された衣装に見えて、実は自前なことが分かります。

ちなみに2007年現在のN響コンサートマスターは(バイオリンのひとで、指揮者に一番近い、手前のひと)、かなりの洒落ものです。右手小指に指輪をしています(客席からよく見えるんだ、これが)。あご当てに挟んでいるハンカチがバラ柄です(しかも青いバラだった)。かたいイメージのあるオーケストラ楽員の中では、極端にキザで洒落ものっぽい感じで、面白いです。

うちの家族はわりとクラシックに親しみをもっていますが、大体この番組にチャンネルを合わせるとそんな見方をしてます。音楽をまともに聴いてるのは、大学時代にオーケストラに入っていた父くらいです。

「あーこのひとの頭も結構きちゃってるねー」は母とあたしが毎回言う台詞です。

馬鹿にして…ます、スイマセン。でも日曜の夜、夕食後、お茶の間で見るんだから、それくらいいいじゃないですか。(いくら馬鹿にしたって、N響の楽団員ともなれば、音楽学校主席で卒業、みたいな人はざらです。ほんとはすごいんです。音楽をちゃんと楽しむときは、それなりの気概をもって聴きますよ!)

でも馬鹿にしながら見る、これが案外楽しいのです。親しみが湧きます。垣根が低くなるのです。

芸術の秋、クラシックな世界の俗的な部分を笑ってみるのは如何でしょうか? 遠かった世界がほんのちょっと近づくかも?

Under consideration…

(10月17日午後加筆修正)

「Rock'n Roll is dead」なのか「Rock never die」なのか。

ロックは反体制を叫んだり、怒りをぶちまける媒介であることが多い。それは音楽としてのロックを越えてファッションやアーティストの生き方そのものにも表れる。それは人々の言葉にできない言葉を代弁したものであるから、支持される。人々は「もうひとりの自分」の夢を見る。

しかしやがて、ロックは多数の支持を得て時代の主流になり、大衆化する。アウトローでアンダーグラウンド的であったアーティストはスターになる。それは音楽性の変化、精神性の変化であるとも受け取られる。人々はそれを指して死んだの死なないのと言っているのだろう。

「もう一人の自分がある日気づいてみると、別の方向を向いている。共有したものをおざなりにしている。許せない」「いや、しかし自分が自分であることに変わりはない、根底に流れるものは同じである。信じよう」

世界の驚くべき人数の人々が自分を投影化しているからこそ、ロックの生死に関わる論争は尽きない。

反体制、に対する別の流れの出現。結局はその繰り返しがロックの歴史を作ってきた。60年代前半のいわゆるブリティッシュ・インベイジョン時代、そして70年代のロンドンパンク。そして80年代後半に構築され90年代に花開く初期オルタナティブ。

それを作ったものは元来社会の底辺に生きる人間たちだった。彼らは今やセレブリティである。それを責めることは誰にもできないはずだ。少数派であることの嘆きと誇り。このアンビバレンスを否定することはできない。

グランジを、カート・コバーンを見よ。彼は偶像視は拒否するとはっきり言っている、しかしオーディエンスはそれを受け入れたか? 元々精神に脆弱な要素を強くもっていたカートは自分の名声に怯えていた。原因は多数あれど、結果として彼は自死した、と同時にオルタナティブの一翼を担ったグランジも終わった。

ちなみに、現在真に怒っているのは(Rockしているのは)、ヒップホップであると言われている。しかしアメリカのチャートを見ればベスト10を占めているのは、確実に「それら」なのだ。日本のクラブ文化を見れば、それはスラムのブラックたちを模倣している。アパレルはそれを高値で売っている。

そもそもロックの源流はリズムアンドブルースにあり、それが白人文化と交わり、テクニカルな進歩を受け入れ、時代の流れに寄り添い、ありとあらゆる文化風土思想楽器を飲み込んで増殖分裂を繰り返して、今日まで続いてきた。

我々は何事にも意味づけや定義を求める。しかし、ロックという生き物ははそれを最も嫌うのではないかと思う。

つまり、何が言いたいか。

四の五の言わずに己の表現したいことをすればいいし、或いは好きなものを選び取ればいいのだ。それが主流だろうが傍流だろうが、何が悪いというのだろう。

サン

アクセス解析を見ると、Red Hot Chili Peppersのヴォーカル、アンソニー・キーディスをキーワードに、検索に引っかかっていらっしゃってる方が結構いるんですね。6月の来日前後にはアクセス数がビックリするほど増えました(笑)。

というのも、このブログで以前、アンソニーと彼女のことについての疑問やニュースを書いたことがありましたので、それに引っかかってるんですね。RHCPのゴシップ情報は、日本のサイトやブログでは、ちゃんと書かれてるとこって意外とないんです。やっぱり皆さんゴシップは気になりますよね~。

で、ご存知の方も多いと思いますが、続報です。

10月2日にアンソニーと、以前から交際してたヘザー・クリスティー嬢に男の子が誕生しました。おめでとう!(ちなみに二人はまだ籍は入れてないそうですよ)

ベイビーはEverly Bと名付けられたそうで、名付け親はRHCPのべーシスト(且つアンソニーの20ウン年来の相棒)FLEAとの噂です。

あたしがこの事実を最初に知ったのは、モチロン日本のRHCPファンサイトの大御所「mine-D's SPICE!」さんです。ニュースの記事に載っています。

お気に入りにリンク追加しておきましたので、RHCPファンはしっかりチェックしてくださいね。

賛歌

9月8日、定禅寺ストリートジャズフェスティバルに参加しました。

野外で、マイクを通して歌うのは初めてで、

もう自分のパートでいっぱいいっぱいで。夢中で歌いました。

仲間たちの足を引っ張りまくりだったのではないかと…

でも。

自分たちの歌を歌うことで、また他のプレイヤーさんたちの演奏を聴いても。

音楽ってなんて素晴らしいんだろうと思った。

あたしは音楽を愛してる。

そしていろんなひとを愛してる。

「音楽する」ことができる人たち、その才能や技術は大切な賜物です。

どんな神様かはわかりません、でもそれは間違いなく天からの贈り物です。

望んでも得られない人もいるのです。

そして、それは自分が思っている以上にリスナーに沢山のものを贈っているのです。

きっと。多分。

だから。

大切にして下さい。

そして、それをより多くのひとに与えてください。

自分で楽しむだけじゃもったいないよ!

ちょっと酔ってるんです…戯言を申しましたかもしれないけど勘弁してくださーい…

では。おやすみなさい…☆

ラティーナ

世界三大テノールの一人、ルチアーノ・パヴァロッティが亡くなりました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070906-00000070-mai-soci

あたしはあまり声楽には詳しくないのですが、三大テノールの中ではパヴァロッティが一番好きでした。

ドミンゴは端整で男性的な深みがあり、カレーラスは愛嬌たっぷりで情熱的。もちろんそれぞれ魅力的。

でも、パヴァロッティにはすごく華があるのです。見た目は毛深くて恰幅良すぎて山男みたいだけど、声がものすごく華やかで表現も(ちょっとくどいくらい)豊か。聴いていてくらくらっとするような官能性があります。THEテノール、テノールって言うのはこういうものと思わせられます。ラテンの土壌と文化、血が薫り立つようです。正にオペラを歌うためにイタリアに生まれた、という感じです。

今人気の日本の某テノール歌手や、日本を代表する変なヒゲはやした某テノール歌手と比べちゃ可哀相だけれど、比べて御覧なさい。同じテノールでどれだけ違うことか。彼らが下手だとか駄目だとかそういうことではないんですよ。これはもうもって生まれたものの差なのです。身体が楽器なんですから。仕方ないのです。だからこそ、世界中が哀しみに暮れているのです。録音はいくらでもありますが、生のその声というのはもう二度と聴くことができないのですから。NEVER、NEVER。そういう価値をもった、世界に贈られた宝物のような存在だったのです、パヴァロッティという人は。

(ちなみにパヴァロッティも楽譜が読めなかったのだそうです。それでもやっぱり歌える人は、歌えるんだなぁ…)

今夜は追悼式じゃないけど、youtubeでパヴァロッティ関係の動画を見まくってました。

トリノオリンピックのセレモニーで歌った「誰も寝てはならぬ」、とても良かった。70になってこの声。冗談のように、感動的でした。

水のように

人間の身体は楽器だ。

歌を歌うことの半分以上は、このもって生まれた身体というものに支配される。

だから、譜面が読めなかろうが音楽の知識や技術がなかろうが、「歌える人は歌える」のである。美空ひばりさんなんかはその典型である。彼女は全く譜面が読めなかったそうだ。けれど、一回聞いた音を完璧に再現できる非常に優れた耳をもっていたし、安定した低音と伸びのあるファルセット、そして何より豊かな表現力に恵まれていた。

これがねー、羨ましくって仕方がない。

あたしは有り難いことに6歳から現在までピアノを習わせてもらってるし、「音楽をする」ための一種の「勘」みたいなものも、例えば同じようにピアノを習った経験のある姉や兄と比べると、多少はあるようだ。上達はあまりしなかったけど、「音楽をする」ことが好きだという思いも強い方だと思う。

歌も、歌えないことはない。少なくとも救いようのない音痴ではないし、簡単なハモリなんかは譜面見ればわりとすぐ歌える。

だけど、全然「上手」じゃないのだ。声に表情が乗らないのだ。

努力をすれば聞けるようにはなるけど、「歌える」人との差は歴然である。それが分かる力はある。だから、本当に羨ましいんです。いいなぁ~。

来週土曜日、ジャズフェスにて歌います。コーラス隊です。

とにかく楽しいステージになります(なるはず?)。 是非聴きに来てくださいね!

詳細知りたい方はご連絡ください♪